趣意書

高知工科大学紀要 第13巻 所載より

基盤科学技術を用いた里山再生の必要性

地域連携機構 国土情報処理工学研究室
室長 高木方隆
2016年3月7日

1. 大学周辺地域の現況

開学以来、高知工科大学周辺の地域環境は、徐々に道路や水路等の社会基盤施設が整備され、安全で安心して暮らせる状況に向かっている。工業団地もでき、宅地造成により新築住宅も増えているようである。しかし、本学周辺が活気のある地域として成長しているようには感じられない。

国勢調査データによると、人口が増加しているのは、あけぼの街道周辺のみで、本学周辺は、人口減少の一途をたどっている。物部川を挟んで本学の対岸の地区である佐岡地区では、2013年に小学校が休校となり、その学童は本学に隣接する片地地区への編入を余儀なくされた。このように人口減少は、着実に進んでいる。

南海トラフ関連の巨大地震の発生が心配される中、あけぼの街道の開通に伴って、河岸段丘上に位置していて比較的安全な土佐山田中心部の宅地化は進んでいるようであるが、佐岡・片地以北の中山間地域の人口は減少傾向が続いている。

高知県とともに、香美市は移住促進のため様々な施策を講じているが、全体的な人口減少には歯止めがかかっていない。


2. 日本の現況

ところで現在の日本は、地方においても社会基盤施設は充実し、自動車を始めとする機械製品や、様々な電子通信機器を使って、極めて便利な生活をおくることができる。

しかし、心豊かな社会に向かっているのだろうか?

日本は、高度経済成長期を終え、人口も減少しているため税収は上がらず、財政的な危機に直面した状況である。日本社会における人間の高齢化とともに、多くの社会基盤施設も老朽化している。限られた財政事情で現有の社会基盤施設をどう維持管理して行くのか、極めて大きな課題となっている。

また、自然災害は絶える事無く繰り返し発生し、頑強と思われた社会基盤も壊滅的な被害を受け、多くの犠牲者が出ることがある。さらに、気候変動やエネルギー問題、諸外国との関係等も存在し、日本国家の抱える課題は非常に多いが、そろそろ本当に心豊かな社会を念頭に、様々なシステムを見直す時期が来たように感じる。

3. 都市の在り様

都市は、人類発展史においては、極めて重要な場を提供している。高度な技術とサービスを追究したり、真理を探求するためには、役割分担の整った社会基盤と組織力が必要とされる。つまり快適な都市で、英知を結集し、安心して先端的産業に従事し経済活動を行う。これこそが都市で生きる人のあるべき姿であろう。

都市は税収が多いので、社会基盤の維持管理をアウトソーシングすることが可能である。言い換えれば都市は、税収でインフラの整備と維持管理が可能な経営状態の地域と言えるのではないだろうか。そのような都市は、多くは存在しない。都市の様相をした単なる人口集中地域がほとんどである。このような地域を今後どうするかが、喫緊の重要な課題である。したがって、自然災害のリスクがある都市や税収での維持管理が困難な都市は縮小させ、持続して行政が社会基盤の維持と管理を行える状況を再構築して行く必要がある。


4. 中山間地の在り様

一方、中山間地域は、都市域よりもさらに人口減少が著しく、耕作放棄地や手入れのされていない山林が増加の一途をたどっている。

しかし、昨年ある中山間地域において住民の意識調査を実施したところ、驚くことに、ほとんどの住民はそこでの生活に満足していることが明らかになった。もっとも、満足できなかった住民は、既にその土地を離れている訳なので当然の結果とも言える。そこでの暮らしに満足している理由の多くは、いろいろな面で頼りになるコミュニティがそこに存在することであった。

信頼できるコミュニティの存在は、貨幣価値では表すことのできない豊かさのひとつと言える。中山間地域では、古くから生活道や水路の維持管理を住民の手で行っている。田役や道づくりというしくみで組織的に取り組んでいる地域も多い。公共的な仕事を協同によって安価でこなしているとともに、住民同士の信頼関係の構築もなされている。

貨幣は、様々なものと交換でき、長期間貯めることや預けることも出来る。したがって、個人で得た貨幣所得は、蓄え続けられ、他人に分配されることはまずないため、納税によって社会基盤の整備や富の再分配を行っている。一方、農産物や食品をはじめ、工業製品に至るモノは、作りすぎると貨幣に交換するのが困難になり、最終的には時間とともに腐ったり壊れたり使えなくなって行く。中山間地域において農産物が余った場合は、ご近所さんや親戚縁者にお裾分けとして、富の再分配がなされる。ここにもコミュニティ形成の重要なポイントが存在する。何れにしてもコミュニティの形成に、貨幣はそれほど必要ないことが解る。必要なのは協同の場や生産の場であろう。それに相応しい場が、自然の恵みを授かることのできる豊かな里山である。

2013年に高知県が振興キャンペーンとして「高知家」というスローガンを打ち出した。「高知には失われかけている人と人とのつながりが息づいている」ということから名付けられたそうであるが、それを保つためには、里山の機能が極めて重要となる。


5. 自然の魅力とその活かし方

中山間地域の魅力は、何と言っても美しい自然にある。手つかずの自然そのものの美しさと、人の営みの場としての豊かな里山とのバランスは、一層美しさを醸し出す。中山間地域が、全く手入れされていない人工林と、耕作放棄地に囲まれた状況では、美しく豊かな自然を満喫できる状況には無い。都市に暮らす人にとっても、美しい自然や豊かな里山は大きな魅力のはずである。

香美市においては、三嶺山系をはじめとする非常に美しい山岳が多数あり、一年を通じて自然愛好家が訪れている。しかし、登山口に至るまでの農地や林地は、担い手の減少のため荒廃の一途をたどっており、豊かな里山を通過して山頂に至るような状況とはなっていない。したがって、都市に暮らす人々が憧れを抱くような美しく豊かな里山の再生が必要である。

中山間地域は、言うまでもなく大きな自然資源を有している。森林資源は、建設材料としての活用だけでなく、雑木林には様々な役割を果たしてくれる木が多く存在する。森林の下層植生にも食用や薬用等の有用植物が数多く繁茂している。さらに枯れ枝等は、バイオマスエネルギーの資源ともなる。水系・河川は飲料水や灌漑だけでなく発電も可能である。

ところが、中山間地域では過疎化に歯止めがかからず、管理されない森林と耕作放棄地がどんどん増えていっている。これらの資源を有効に活用するには多くの人手を要するが、その仕事が対価としての十分な現金収入に繋がらないところが問題となっている。極めて安い農産物や製品が海外から輸入され、デフレ傾向が止まない現在、対価を貨幣で得るには厳しい仕事量を強いられる。

しかし貨幣収入のためではなく、自分や家族の生活を賄う程度の仕事であれば、そんなに重労働にはならないはずであり、それは楽しみにもなる。そもそも中山間地域での生産物の安定供給量は、気象条件をはじめとする自然環境に左右されるため、産業化には向かない。中山間地域での生産物は、その地域周辺で楽しむことが重要と考えられる。あえて産業化する必要はなく、地域に暮らす人々自身の楽しみがベースにあるべきである。地域にある自然資源を有効利用しながら、コミュニティが持続できれば、極めて自立性の高い地域となり、防災力も高くなる。


6. 里山基盤構築に向けた工学的アプローチ

里山再生に関するプロジェクトは、既に各地で多く行われているが、環境保全的な事業や農林業をベースとした事業が多い。それに対してこれからはさらに踏み込んで、科学的な知見と技術を導入し、里山基盤の構築を目指す必要がある。

これまで工学は、社会で必要とされていることを科学的な根拠に基づき、技術的な解決策を提案してきた。しかし現在の工学のほとんどは、社会を支える技術ではあるが、都市型の産業を支える技術の色合いが濃くなっているように見受けられる。

例えば土木工学は、快適で安全な暮らしを担っているが、道路やダムは、輸送や利水で農業だけでなく製造業も下支えし、車社会を促進させた。道路は従来、コミュニケーションの場としての機能も持つものであるが、車社会に移行したために輸送力の機能が重視されるようになった。

機械工学や電気電子工学は、運輸や通信等で便利な暮らしを担っているが、地域コミュニティを飛び越えた人間活動を下支えしている側面もある。そして機械化やICT技術の導入は、協同の場を少なくさせているとも言える。

既に各産業が発展し成熟した現在、これからの工学は、都市型産業のサポートだけでなく、地域コミュニティの形成・拡大や豊かな里山の再生に向けた課題にも取り組む必要がある。

例えば、これまでの河川や道路は、とにかく速やかに流れる仕組みを中心に設計されてきたが、里山では豊かな自然の一部であり、生活の基盤であるため、それに相応しい設計が必要とされる。

防災技術にしても、災害を防止する抑止・抑制対策が中心であったが、里山では、自然災害の容認をベースとする計画を検討する必要がある。

近年、自然環境をモニタリングするためのセンシング技術は、飛躍的に発達しており、植物栽培や防災への活用が期待されている。自然環境情報だけでなく、歴史や社会経済に関する様々なデータも電子化され、統合化された地理情報として扱えるようになってきた。これらを用いれば、総合的な里山の地域計画が可能である。

また、化石燃料の消費を抑える必要がある現在、自然エネルギーは電気エネルギーへの変換が求められているが、里山では自然エネルギーをできるだけそのまま利用するのが最も効率的であると考えられる。里山の自然を最大限に取り入れた新しい建築様式の提案も可能である。したがって、自立性の高い里山の再生にも科学技術は利用されるべきである。


7. 里山基盤科学技術の実装

このように、豊かな里山の再生と地域コミュニティの形成・拡大に向けて、必要となる科学技術を里山基盤科学技術と位置づけ、それを実在する地域社会に実装していく必要がある。

既に本学の地域連携機構では、バイオマス発電や小水力発電に取り組んでおり、エネルギー供給に関する技術が社会実装されている。

また、有用植物資源の自生地に関する適地性評価も行われ、着々と成果が積み上げられており、環境理工学群では、有用植物の栽培に着手した。

システム工学群では、H26年度に香美市土佐山田町佐岡地区を対象に住民意識調査を実施し、地域情報データベースの構築を行った。現在は、里山における道路・河川・古民家の改修方法について研究をスタートさせている。

H27年度には、各組織で立ち上げられている里山再生に関連するプロジェクトを統合するとともに、他の里山基盤科学技術を持つ有志教員も加わることで、里山基盤科学技術の社会実装を目指すプロジェクトがスタートした。

今後は、様々な調査・研究を展開しながら社会実装し、実装後に生じる課題についても解決して行く予定である。里山基盤科学技術の社会実装プロジェクトは、長期間にわたる取り組みになりそうである。


8. 大学紀要での成果公開

本プロジェクトで生み出される調査結果・報告書・論文等の成果は、非常に役に立つ情報が満載である。これらをまとめて情報発信するには、本学の紀要が最も適していると判断した。今後、里山基盤科学技術の社会実装に関する調査研究の成果は、継続して本紀要に投稿する予定である。今回は、2件の研究成果と7件の調査結果をまとめることができた。何れもH27年度の成果であり、活動期間は約半年という短い期間であったが、香美市土佐山田町佐岡地区に対象フィールドを設定したことにより、現地調査や住民との対話を通して多くの知見を得た。

未だプロジェクトは始まったたばかりなので、十分な成果となっていない部分もあるが、たくさんの課題が抽出されている点が重要なポイントである。これらの課題を解決させて行きながら、豊かな里山の再生と地域コミュニティ拡大を実現して行きたい。現時点では、各研究の学術性の価値は小さくとも、各研究者の技術シーズを里山再生という場で活かしてもらうことにより、非常にやりがいがあり、かつ面白みのある活動が実践できている。

本プロジェクトは、教育の場としても大きな効果が得られている。学生たちの教育の場は、学内が中心であったが、学外の実社会に実践の場が存在し、それが地域貢献に繋がることで、自ら学ぶ姿勢と学業に対する意欲が向上している。さらに本プロジェクトは、新たな研究者コミュニティの構築にも寄与しており、今後そのコミュニティの拡大は必至である。継続して活動して行けば、とてつもなく大きな成果になると期待している。


9. 心豊かな社会とは

最後に、心豊かな社会とは、どのような社会を思い描けば良いだろうか?

物質的な豊かさだけでは不十分である。心が豊かになるためには、他にも多くの要素が必要となる。環境的要素は、温かい家庭、安定した生活基盤、信頼できる地域、団結できる組織、安心できる国家、美しい景観、奥深い伝統、多様な文化等が、代表的な要素とみて良いだろう。これに加えて、個人的要素は、健康、思いやりの心、幅広い教養、高い志等が挙げられる。心豊かな社会を達成するための課題のほとんどは、直接目に見えないものなので、直接科学技術で解決するのは極めて困難であるが、高い志のもと、里山基盤科学技術の社会実装を住民の方々と一緒に実践することで実現できると期待している。

さて、現在、核家族化が進行しているが、4人家族のうち、1人か2人が経済活動をすれば、生活はほぼ賄って行けている。子供の教育費の負担は大きいが、独立すると負担は減るはずである。したがって、人口の半分は経済活動以外の仕事に従事できると思われる。しかしそれが困難な状況となっている大きい問題は、独身者を含めて一人暮らしが増えているところにある。都市での一人暮らしは、生活のための経済活動がメインとなり、休む間もなく働く必要がある。しかし、豊かな里山であれば、生活費の負担が少ないため、多くの経済活動は必要とならない。一人暮らしであっても、1週間のうち3日程度は経済活動に従事し、それ以外は地元での協同により、信頼できるコミュニティのなかで楽しく暮らせると期待できる。そして家族ならば、大人は里山での生産活動に従事したり、周辺地域で経済活動に従事したり、家庭の仕事をしたり、子供は自然のなかで遊びながら体力をつけたり、自然科学に興味を持って勉強したりする状況となるであろう。

このプロジェクトにより、都市に出て行った人々が、再び地元に戻ってきたくなるような豊かで美しい里山社会を早く再生させたい。